takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

座高の話

小学校に入ると身体検査がありました。
幼稚園でも身体検査はありましたが、自分の結果を知ることはなく先生方が子供の数値を把握しているだけでした。
しかし、小学校では身体検査の結果を数値が記載された表で生徒たちに渡してくれました。

小学校では(中学校でも)朝礼や運動会のとき、背が低い人が前で背の高い人はうしろとなるように並びます。僕はクラスの中でも身長は高い方でしたが、一番ではなく、後ろから3、4番目でした。これは小学1年の時から高校を卒業するまで変わりませんでした。
小学1年のときに身体検査の結果を見せあって、僕より身長が高い友達に「身長は負けてるけど、座高は僕の方が勝ってる」といったら、別の子が「それって、あんまりええことないんとちゃう?」といいました。
僕はその子の言っている意味が分からず「え?なんで? なんで座高が勝ってるのはあかんの?」というと、その子は「脚が短いということやから」と言いました。
「えっ?なんで脚が短いとあかんの?」と聞くと、友達は「カッコ悪いということやから」と言いました。
僕は「???」でした。
僕は脚が短いということが、カッコ悪いことであるというのが全く分かりませんでした。
その頃は「強い」ことがカッコいいことだと思っていて、脚が長いことがカッコいいことだとは思いもしませんでした。
子供心にカッコいいと思っていたのは大相撲の初代若乃花でした。横綱目指して快進撃していた時でしたから何しろ強かったです。
家にテレビがない時代でしたからその雄姿は新聞の写真でしか見ることはできませんでしたが、何しろカッコいい人だと思っていました。

座高は小学2年(1956年)でも測定しました。
もう自分の方が座高が高いということは自慢しなくなりました。まだ脚が長いことがカッコいいことだということは理解できていませんでしたが、座高を自慢することは何か恥ずかしいことだと思うようにはなりました。
この頃に石原裕次郎が「脚が長くてカッコいい」と話題になるようになり、僕も映画などを見て確かに石原裕次郎はカッコいいと思うようになりました。
そして、やっと脚が長いというのはカッコいいのだと納得したのです。

なぜか小学3年以降は座高を測定しませんでした。
ちょっとほっとした記憶があります。