takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

「おとん」「おかん」はどこの言葉?

だいぶ前から、テレビで自分の父親・母親のことを「おとん」「おかん」という人が多くなってきています。
特に関西系の芸人が「おとん」「おかん」と言うのですが、大阪で生まれ育った僕にはずっと違和感がありました。
そこで、ネットで「おとん」「おかん」がどこの方言か調べたのですが、そこには「関西以西の方言」と書いてあったり、大阪ことばの「おとうはん」「おかあはん」が短く省略されたものという記載などもありました。
しかし、僕が大阪にいたときに僕の周りで「おとん」「おかん」という言葉は聞いたことはありませんでした。
僕が子供の時のテレビ番組でもラジオ番組でも「おとん」や「おかん」という言葉は一切出てきませんでした。

大阪は商人の町なので、相手に対して柔らかい応対をする言葉が大阪の標準語であり、それは船場(せんば)言葉や、というのが僕の父親の持論でした。
花登筺(はなとこばこ)作の「番頭はんと丁稚どん」というテレビ番組は船場にある薬問屋を舞台にした喜劇でしたが、劇中でお店の娘たちは自分の父親のことは「おとうはん」と言ったり「お父ちゃん」と言ったりしていました。母親のことは「おかあはん」とか「お母ちゃん」と言っていました。
舘直志(たてなおし:二代目渋谷天外)作「親バカ子バカ」(舞台設定は大阪のとある所と思われる)でも、社長の息子役である藤山寛美が父親役の渋谷天外に「お父ちゃん」と言っていました。
また、番組タイトルは忘れましたが、笠置 シヅ子が大阪の下町で暮らす家族の母親役をしていたテレビドラマで、自分の息子役から「お母ちゃん」と呼ばれていました。

さらに、花菱アチャコと浪花千恵子が夫婦役で出ていた「お父さんはお人好し」というNHKのラジオ喜劇でも、「お父ちゃん」「お母ちゃん」であって、「おとん」「おかん」ではありませんでした。

僕が子供の時は自分も父親や母親のことを「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼んでいましたし、周りの友達も同じでした。
ところが、僕が中学に入学(1961年)したタイミングで、両親から突然「今日からもう、お父ちゃん、お母ちゃんと呼んだらあかん」と言われ、
「そんなら、なんて呼んだらええねん」と聞くと、父親が「うちはパパとかママとかいう雰囲気の家庭とちゃうから、お父さん、お母さんと言うようにしょうか」と言いました。
そのあとからすぐに両親を「お父さん」「お母さん」と呼ばなければならなくなったのですが、どうにも照れくさくて言いづらい思いをしました。
しかし、長男の僕がちゃんと「お父さん」「お母さん」と言わないと弟たちが言わないので、無理やり何かにつけて「お父さん」「お母さん」を連発して自分自身を慣れさせました。でも、慣れるまでに一週間ほどかかりました。
そのためか、弟たちも自然と「お父さん」「お母さん」が言葉に出るようになって、兄の役目は果たせたかなと思いました。

僕の家は当時大阪のベッドタウンと言われる地域にあったのですが、父が言うように、確かに「パパ」「ママ」という雰囲気ではありませんでしたし、当時僕の周りで「パパ」「ママ」と言っていた家庭はほとんどなかったように思います。
当時のテレビ番組の「パパ起きてちょうだい」では「パパ」「ママ」と言っていましたが、東京ではそういう家庭が多いのかなと思っていた程度でした。
逆に父から「パパ」「ママ」と呼ぶようにと言われていたらもっと照れくさくて、ずっと言い慣れなかったかもしれません。

僕が家庭を持ってからは、子供達には最初から「お父さん」「お母さん」と呼ばせました。やっぱり「パパ」「ママ」という言葉に慣れがないためでした。
しかし、僕の子供たちは自分の子供には「パパ」「ママ」と言わせているようです。


僕は1972年に上京したのでそれ以降のことは分かりませんが、それ以前では「おとん」「おかん」という言葉は聞いたことがありませんでした。
僕の上京後に関西で「おとん」「おかん」という言葉ができたのか、それとも「恵方巻」と同じように、もっと昔からあった言葉でそれが復活したのか、もしご存じの方がいらっしゃれば教えていただきたいと思います。