takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

中学校の修学旅行は行けなかった

中学の修学旅行は3年生(1963年)の10月でした。
毎年修学旅行は東京へ行くのですが、この年は東京が水不足であるということで行き先が四国に変更されました。
中学の修学旅行は3泊4日です。
ちなみに学校から行く初めての宿泊旅行は小学5年生の時の林間学校で、1泊2日で奈良の吉野に行きました。小学6年の時の修学旅行は2泊3日で伊勢志摩に行きました。
中学の修学旅行が東京だと聞いていたので楽しみにしていたのですが、急遽四国に変更になってちょっとがっかりしました。しかし、四国へは大阪港から船で行くと聞き、それも楽しみになりました。

ところが修学旅行の1ヵ月前に虫垂炎になり入院することになりました。普通は1週間で退院できるのですが、微熱が取れなくて10日間入院していました。退院後は順調で体育は1週間休んだだけで翌週の体育の授業では軽い運動は問題ありませんでしたし、修学旅行1週間前では普通に体育の授業も参加できました。
当然修学旅行は問題なく行けると思っていました。

しかし、修学旅行1週間ぐらい前に先生に呼ばれ、「虫垂炎の手術をした直後の君に旅行中何かあったら、学校として君に十分な対応ができない可能性がある。だから修学旅行へ行くのを止めてほしい」と言われて驚きました。修学旅行に行けないと後々みんなと同じ話題を共有できないし、卒業アルバムの修学旅行編にも写真が載らない、何より修学旅行を友達と一緒に楽しめない。「いやです、修学旅行には行きたいです」と言いました。しかし、先生は、僕の両親も説得しており、両親からも「修学旅行に行って、もし体調が悪くなると先生にも友達にも迷惑がかかるから諦めなさい」と言われ、文字通り泣く泣く修学旅行に行くのを諦めました。
しかたがないので修学旅行の期間は一日中家でテレビでも見ていようと思っていたら、先生から毎日出席を取るから学校に来るようにと言われました。
3年生で一人だけ学校に居るなんて寂しくて嫌だなぁ、授業もないから何をすればいいんだろうと思いながら、とりあえず数冊の教科書を持って登校しました。

教室につくと同じクラスの友達が2人いました。普段はそれほどよく話をする友達ではないですが、嫌いな友達ではありません。もともとこのクラスはみんな仲が良く仲間外れにされる人はいませんでした。僕が修学旅行に行かないことは先生がクラスのみんなに言っていたので、その2人は僕が修学旅行に行けないことを知っていましたが、僕は、僕以外に修学旅行に行かない人がいることは知りませんでした。
「なんで修学旅行に行かへんかったん?」と世間知らずで余計なことを聞いてしまいました。2人は一瞬戸惑った顔をしましたが、一人が「俺のとこお金がないから」と言うと、もう一人が「俺のとこも」と答えました。
この時初めて経済的な理由で修学旅行に行けない人がいることを知りました。中学3年生にもなって世間知らずも甚だしいことでした。
僕の家も裕福ではありませんでしたが修学旅行には行けたので、それが普通のことだと思っていました。

修学旅行に行けなくて学校に登校した生徒は僕たち3人だけでした。3年生全体で680人いるうちの3人だけです。
後で聞いたところによると、他のクラスに2人ほど経済的な理由で修学旅行に行けない生徒がいたが、学校には来なかったということでした。

いつもの授業開始時刻になると先生が出席を取りに来ました。先生に僕たちは何をすればいいのかと聞くと、「教室にずっといれば何をしてても良い」「昼飯の時間になったら家に帰っていいから」と言って職員室に戻っていきました。その後先生は来ませんでした。
3年生の建物は3階建てで1年生、2年生とは別棟になっていたので、この建物全体で3人だけです。結構騒いでも外に聞こえる心配がありませんでした。
教室にピンポン球があったので、廊下に出て、箒の柄をバットにして、一人がピッチャー、一人がバッター、もう一人が野手になり交替しながら野球をしました。
ピンポン球はちょっと回転を掛けると大きく変化するので面白くて2時間以上熱中しました。ピンポン球をまともに打つと割れてしまうのですが、それでもまだ投げられるうちはそのまま使い完全に二つに割れてしまうまで使い続けました。
その頃に昼休みのチャイムが鳴ったので3人とも家に帰りました。
初日で、2つあったピンポン球が割れて使えなくなったので、家に帰ってからピンポン球を2つ買いました。

翌日は教科書は持っていかず、買ったピンポン球だけを持って登校しました。また前日と同じように3人で野球をしました。楽しくて昨日と同様に時間はあっという間に過ぎていきました。昼休みまで遊んで家に帰りました。
学校に遊ぶためだけに行ったのは、後にも先にもこの時だけです。

登校したのは2日間だけでした。修学旅行は3泊4日でしたが、初日は夕方に大阪港出発で船中泊だったので旅行に行かない生徒は登校しなくてよかったのです。また帰ってくる日は日曜日だったため登校しなくて良かったのです。翌月曜日は修学旅行のお疲れ休みでした。

火曜日は修学旅行から帰ってきた友達がいろいろ話を聞かせてくれましたが、修学旅行に行った友達同士で話が盛り上がってしまい、仲間から外れた気持ちでちょっと寂しい思いをしました。

何日か経って職員室に呼ばれ先生から封筒を渡されました。修学旅行用に積み立てていたお金が返却されたのです。封筒には9千円ほど入っていました。学卒の初任給が2万円前後の頃ですから大金です。1年生から毎月積み立てていたので気が付きませんでしたが結構な金額になっていました。この金額の大きさから経済的なことで修学旅行に行けない家庭があることを再認識しました。

修学旅行後しばらくして進路調査があり、高校に進学する人、就職する人がそれぞれ希望を出します。クラス52人中7、8名が就職希望です。
彼ら2人も就職希望でした。