takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

初めてのモーニングショーは1964年に始まった

日本で今のようなワイドショーが始まったのは僕が高校1年生の時(1964年)の「木島則夫モーニングショー」が先駆けだと言われています。
この番組ではNHK出身アナウンサーの木島則夫が司会進行を担っていました。僕はこのようなワイドショー形式の番組を見たのは初めてだったのですごく新鮮な印象を持ちました。木島則夫はCMを一切担当せず、CMはすべてアシスタント(といってもサブ司会者の立場)の男性と女性が担当していました。CMに移行するときは木島が「それではお知らせです」と言うのです。最初「お知らせ」って何だと思いました。CMのことを「お知らせ」と言うのはここから始まったのではないかと思っています。

ティッシュ」というものもこの番組のCMで初めて知りました。
この番組では「クリネックスティッシュ」がCM対象商品でしたが、当時の日本では僕を含めて「ティッシュ」って何?と言う人が多かったようで、CMでは水に濡れたリンゴをティッシュの上に乗せて持ち上げ、「このように濡れたリンゴを持ち上げても破れません」という説明を毎回繰り返していました。生(なま)CMでした。
また、CMで箱からティッシュを取り出すのですが、1枚を取り出すと次の1枚がすぐ取れるように箱の上に飛び出す仕組みを見て感動しました。アメリカ人はすごいなぁと感心しました(ティッシュを発明したのがアメリカ人かどうか知りませんでしたが)。

ちなみにティッシュがない時代は、「ちり紙」を使っていました。
ちり紙を数100枚平面的に重ねたものが売られており、家庭ではそれを上から数枚ずつ取って使用していました。
携帯用のティッシュもなかった頃は、このちり紙を10~30枚ぐらい折りたたんでズボンや上着のポケットに入れるのですが、歩いているうちにこすれて毛羽立ち、見た目も悪く、使いにくいという欠点がありました。

当時のティッシュはちり紙に比べてまだ割高で、僕の家でティッシュを使い始めたのは、このCMで知ってから3、4年後ぐらいのことだと記憶しています。
携帯用のティッシュが出てきたのは箱型ティッシュの出現からかなり後のことになります。これは便利だと感心しました。

また、当時は野菜につく残留農薬が問題になっていた時代でもあったので、このモーニングショーの中では食器を洗う台所用中性洗剤で野菜も洗うことを推奨するCMもよくやっていました。これも生CMでした。
今の日本で野菜を洗剤で洗っている人はごく少数であると思いますが、当時はこれが野菜の残留農薬問題解決の一方法だったのです。
時代を象徴するCMの一つだと思います。

先に掲載した「町内一斉に大掃除」で、父が大掃除の時シャツとステテコで畳を運び出していたと書きましたが、当時(1960年前半)の夏場の一般的な父親の家の中でのスタイルはステテコとシャツでした。
「木島則夫モーニングショー」では、夏場の男性(成人)が家の中で着るものについて、木島が「ステテコ派」、サブ司会者の栗原玲児が「シュートパンツ派」の立場で論争をしていました。このように割とくだらない内容を討論形式で放送するというのも当時としては珍しかったと思います。
当時の僕はショートパンツ(半ズボン)は子供が穿くものだという観念が強く、家にエアコンがない当時はステテコの方が汗も吸収してくれるので、やっぱり夏に穿くのはステテコになるのではないかと思っていました。
しかし、僕はその後成人してからも、夏場に家の中でずっと穿いていたのはショートパンツでした。エアコンが家にないときでもそうしていました。
それはステテコは急に来客があったときに応対するのが恥ずかしいスタイルであるという風潮になってきたからです。それまでは、家の近所ぐらいはステテコで歩いていた年寄りは多くいました。クレージーキャッツ植木等のコントにあるスタイルです。

ショートパンツはこの頃はバーミューダパンツと言っていましたが、今どきバーミューダパンツという言葉はほとんど聞かれなくなってしまいました。

今は、夏場は家、外を問わずTシャツに短パンというスタイルが普通になりましたね。