takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

一番古い記憶

僕が思い返して一番古い記憶は幼稚園に入るちょっと前の記憶です。
もっと古い記憶もあるのですが、それはごく断片的なものだったり、あるいは親からあなたの小さいときはこうだったと言われたのを自分の記憶として持っているものかもしれないので今回は外します。

当時の幼稚園は1年保育が多く、僕が通っていた幼稚園では6クラスのうち1年保育が5クラス、2年保育が1クラスでした。3年保育はありませんでした。
僕は1年保育組でした。
ですから、僕の一番古い記憶は幼稚園入園前の5歳の誕生日後ぐらいの時の記憶となります。

幼稚園入園前に簡単な面接テストがありました。
面接テストを受ける前に両親からお行儀よくしなさい、両手は膝の上にずっと置いておきなさいと言われました。
試験は簡単なもので、車輪の1つが描かれていない自動車の絵があり、この絵で何か変なところはないかと尋ねるものでした。
僕は両親から手は膝の上にずっと置いておきなさいと言われていたので、手を膝の上から離してはいけないと思いアゴで車輪がないところを指し示そうとしました。すると、両親と面接の先生の双方から指で教えてねと言われ、なんだ手を膝の上から離して良いのか、それなら最初に手を膝の上に置いておきなさいというのは何だったんだと戸惑いました。これが僕が鮮明に憶えている一番古い記憶です。
もちろん、その他にもいろいろなことを聞かれました。動物や物が描かれた絵を見てこれは何ですかとか、自分の名前や一緒に良く遊ぶお友達の名前を尋ねるような面接でした。
今の子供たちなら3年保育の入園テストでも出ないような問題です。

幼稚園時代のことはあまり記憶がありません。写真があるので、奈良の若草山に遠足に行ったとか芋掘りに行ったとか、学芸会で因幡の白うさぎのウサギの役やぶんぶく茶釜の和尚さんの役をやったことは後付けの記憶にはありますが、それらのうち僕の実体験として記憶しているものは断片的なものでしかありません。

幼稚園時代に僕の実体験の記憶としてきちんと残っているものは数少ないです。
ひとつは、幼稚園で友達と相撲を取って遊んでいた時、投げられて頭を地面にぶつけて思わず泣いてしまったとき相手の友達がどうしていいか分からず戸惑った顔をしていて、僕が泣いてしまったことが申し訳ないと思ったことです。
その他の記憶としては、僕は幼稚園卒園間際までひらがなが読めなかったことです。もちろん自分の名前も読み書きできませんでした。
幼稚園では図画の時間は担任ではない別の先生が指導に来るようになっていました。
自分が描いた絵には自分で名前を書くのですが、僕は自分で名前を書けないので、図画の先生が代わりに僕の名前を書いてくれます。ただ、僕は滑舌が悪いので僕が自分の名前を口頭で言うと、いつも間違って聞き取られてまったく別の名前を書かれてしまい、よく両親から笑われていました。
幼稚園では卒園間近にひらがなの読み書きを練習する時間が設けられており、小学校入学直前でやっと僕もひらがなの読み書きができるようになりました。このとき、「れ」や「わ」や「ね」などの字が書きにくいなぁと思った記憶があります。
今の子供たちは2歳ぐらいでひらがなを読めるのですごいなぁといつも感心しています。

僕が通っていた幼稚園は当時(1954年)では珍しかった園児送迎バスがあり、それで送り迎えをしてくれました。
ごくたまに園児送迎バスが帰りだけ出ない時があり、その時は担任の先生がクラスの園児たちと一緒に歩いてそれぞれの家の近くまで送ってくれました。僕の家と幼稚園は普通に歩いて10分ぐらいですが幼稚園児の足では15分以上かかったと思います。雨の日に歩いて帰った記憶はないので、送迎バスがどういう理由で稼働しなかったかは分かりません。
小学校に入って分かりましたが、幼稚園に行っていない子もクラスに何人かいました。うちの家は裕福ではありませんでしたが幼稚園に通わせてくれた親に感謝しています。結構無理をしてくれたのだと思います。