takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

昔のテレビ番組

僕の家にテレビ(受像機)が設置されたころのテレビ番組は結構よく憶えています。
一番熱心に見ていたのは「月光仮面」でした。白いターバンのようなものを頭に巻いて、独特のサングラスに白いマスクで口元を覆い、白のタイツ姿でオートバイを乗り回すという、今までのヒーローからはかけ離れた格好で活躍するのが新鮮で毎週の放送日(記憶だと日曜日)が待ち遠しい気持ちでした。
それまでのヒーローで正体が明らかになっていない設定のものとしては、それ以前では「鞍馬天狗」でしたが、鞍馬天狗は着流しで覆面ということで特に奇異な恰好ではありませんでした。
月光仮面」以降のヒーローものは顔を隠したものが多くみられるようになってきました。今思い出せるものだけでも、
七色仮面」、「快傑ハリマオ」、「まぼろし探偵」、「ナショナルキッド」、「豹(ジャガー)の目」の「笹りんどう」などなど。
ナショナルキッド」は当時のナショナル(松下電器産業、現パナソニック)が提供していました。

ヒーローものだけではなくコメディ物も楽しみでした。
「やりくりアパート」も面白かったのですが、そこで一躍脚光を浴びた「大村崑」がその後出演した「番頭はんと丁稚どん」は僕が小学生から中学生の頃の番組で、いつも大笑いしていました。
「やりくりアパート」にはしゃべくり漫才の祖といわれた漫才コンビエンタツアチャコの「横山エンタツ」が出演していました。この頃はエンタツアチャコで漫才をしていなかったので、僕は彼らの漫才を見たことがありません。
一方、花菱アチャコはラジオドラマ「お父さんはお人よし」などで活躍しており、僕にとってはアチャコのほうがなじみがありました。
番組のタイトルは忘れましたが、アチャコが武士の役で出演するテレビ番組があり、その番組の最後に「寝るほど楽は無かりけり、浮世のばかは起きて働け」というナレーションが出てきて、この言葉はいまだによく憶えています。

大村崑」は「番頭はんと丁稚どん」でのアホな丁稚役で大人気となりましたが、同じころ「藤山寛美」も「親バカ子バカ」のアホな息子役で絶大な人気を得ました。
この二人のアホ役の役者を共演させるとどんな面白いものができるのだろうかと思っていたところ、二人が共演するドラマが作られました。確か藤山寛美が兄で、大村崑が弟という設定でした。
すごく期待したのですが、二人ともアホ役ではなく、普通のドラマで僕には全然面白くないものでした。あまりにも期待外れだったので2回目か3回目には見なくなりました。
これだけの役者を揃えても面白いものができるとは限らないということを学びました。

この頃のNHKは茶の間で家族全員が楽しめる番組を多く放送していました。
僕がよく見ていたのは「ジェスチャー」「私の秘密」、後年では「連想ゲーム」などです。
私の秘密」は一般の人で特技を持っている人が登場し、その人の特技を回答者が推理するというものです。
ここに登場した人で僕がいまだに覚えている人がいます。
この時の司会者は2代目の八木治郎アナウンサーでした。
登場した人は「合気遠当ての術」ができるというのです。
「合気遠当ての術」は気合だけで相手を倒すというもので、小説や映画などでは出てくるものの実際にあると思っていませんでした。
登場した人は高齢でいかにも長年修行をしてきたという雰囲気の人でした。
その人は鳥かごから小鳥を会場に放ち、「エーーイ!」と小鳥に向かって声を発しました。
そこはテレビに映ったのですが、肝心の小鳥が落ちる場面はカメラワークが悪く映りませんでした。
その時、司会の八木治郎が「あっ、今小鳥が落ちましたね」と言いましたが、カメラが会場を映したときには小鳥は会場を飛んでいました。
八木治郎が噓を言うことはないだろうと思いながら、どの程度小鳥が落ちたのかそれを見たかったなぁといまだに思っています。

それ以降テレビで「合気遠当ての術」を使う人を見たことをないので、今でもそういう特殊な技の使い手がいるのか、それとも技は継承されなかったのだろうかと考えることがあります。