takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

競馬(1)「タニノムーティエ」と「ヒカルイマイ」

先日競走馬の「ディープインパクト」が亡くなったことが新聞、テレビやネットでもニュースとして取り上げられました。
競走馬としては史上最高の馬と讃えられていましたが、種牡馬としても大きな功績があったと報じられました。
ただ僕としては、種牡馬としてはもっと長生きして父の「サンデーサイレンス」の実績を越えてほしかったと思いましたし、それができる唯一の馬だと思っていました。
それだけに残念です。

僕は、父が競馬ファンであったので、競馬のテレビ中継は「シンザン」や「キーストン」の頃から一緒に観ていました。父は僕に「コダマ」の頃から観ていただろうと言っていましたが僕には明確な記憶はありません。
シンザン」が三冠馬になったのは僕が高校1年生の1964年でした。東京オリンピックの年です。
このころは学校の友達で競馬の話しをする人は皆無で、変な奴だと思われたくなくて友達とは競馬の話はしませんでした。

学生は馬券を買えないのですが、強い馬が強い勝ち方をするのを見聞きするのが楽しく親元を離れた学生時代から特に競馬にハマりました。
しかし、僕は地方の大学にいたので、そこではテレビの競馬中継はありませんでした。仕方がないのでスポーツ新聞で中央競馬の記事を毎日のように読んでいてどの馬が強いか情報は仕入れていました。
ただ、地方にいても中央競馬の大きなレースはNHKがテレビ放送をしていましたのでダービーのような大レースはテレビ観戦できました。
競馬ファンにとってはNHKがテレビ放送してくれるのは嬉しいのですが、当時中央競馬に関心がないと思われる(当然馬券を買うこともできない)地方の人にまでNHKがテレビ放送する意味が分かりませんでした。

競馬は、就職して馬券を買える社会人になってからもだいぶ続きましたが、1978年に競走馬の「テンポイント」、1979年に騎手としての「天才福永洋一」を連続して失ってから競馬に興味を持てなくなり、かなりの期間競馬を離れていました。そのため、1984年に無敗の三冠馬となった「シンボリルドルフ」の活躍は見ていません。
地方競馬出身の「オグリキャップ」が中央競馬に来てその活躍が話題になった頃(1988年)から再び少しずつ競馬をテレビで見始めて現在にいたっていますが、馬券を買うことはしなくなりました。競馬場に行くこともありません。

僕は大阪の出身なので、競馬に夢中になっていた頃は関西馬を応援していました。当時の関西馬はいつも関東馬に後れを取っており悔しい思いをしていましたが、その中で「タニノムーティエ」と「ヒカルイマイ」はヒーローでした。
1970年にスポーツ新聞で「タニノムーティエ」の存在を知り、今度出走するレースがスプリングステークスであるとわかったので何とかレースをテレビで観たいと思いましたが、学生時代は貧乏でテレビを持っていませんでした。それでテレビを持っている友達の下宿へ行って見せてもらったのですが、そのテレビも中古のテレビを友人が自分で修理したもので、アンテナも屋根の上につけるべき屋外アンテナを部屋の中においていたものでした。
先ほど書いたように、地方都市では競馬のテレビ中継はカバーされていません。仕方がないので、競馬中継をやっている遠く離れた民放テレビを受信しようと部屋の中で屋外アンテナを持って電波の強い方向を探すという間抜けな姿になってしまいました。しかし、そうやっても画面はほとんど砂嵐に近いものでした。そのような状況でスプリングステークスを観ました。スプリングステークスは重賞という賞金の高いレースですが、NHKで放送されるほどの大レースではありませんでした。
砂嵐の映像の中で、最後の直線で何か黒い塊が鉄砲玉のような速さで飛び込んできて一着になりました。途切れ途切れのテレビの音声では「タニノムーティエ」が勝ったと言っていたようでした。
翌日のスポーツ新聞で「タニノムーティエ」の勝ちを確認し、ファンになりました。「タニノムーティ」はその後皐月賞・ダービーを勝った後、菊花賞も勝って「シンザン」以来戦後2頭目三冠馬になると思われましたがノド鳴り喘鳴症)という病気で菊花賞は敗退してしまいました。
こんな強い馬でも三冠は取れないのかと嘆きました。改めて三冠馬になるには強さだけではなく運も良くなければならないのだと実感しました。

翌1971年「ヒカルイマイ」が現れて皐月賞・ダービーを勝ち、「タニノムーティエ」ができなかった三冠達成が期待されましたが、屈腱炎のため菊花賞には出走できませんでした。やはり三冠馬になるためには運が必要なんだと再認識しました。
ただ、当時のスポーツ新聞には「ヒカルイマイ」は削蹄ミスという記事も出ていました。
ヒカルイマイは母親の血統がサラブレッド(純血種)かどうか不明ということでサラ系といわれていたのですが、サラ系に三冠を取らせたくないため、わざと削蹄ミスをしたという陰謀説まで出たものでした。当時、僕はこの説を信じていました。

ヒカルイマイ」のダービーは別の友達のところでNHKのテレビ放送を観たのですが、「タニノムーティエ」のスプリングステークス(といっても、観たのは砂嵐の映像でしたが)を凌ぐほどの最後方からの見事な追い込みで感動しました。

思えば、この頃の僕は追い込み馬が大好きでした。なんか追い込み馬が勝つとスカッとする気持ちになれたのです。

寺山修司によると競馬観はその人の人生を映し出しているとのことで、追い込み馬が好きな人は、今は不遇であるがいつか逆転を夢見ている人だそうです。僕は貧乏学生だったので、確かに当たっていると思います。

現在は、「好位差し」の勝ち方が好きになっています。