takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

「恵方巻」を知ったのは50数年前のことだった

お正月が過ぎると節分がすぐにやってくる感じですが、節分といえば今では「恵方巻」を食べることが普通のことになっています。
僕は大阪で生まれ育ちましたが、子供のころは大阪でも恵方巻は一般には知られていませんでした。

僕が中学生の頃(1961年~1964年)か高校生の時(1964年~1967年)だったと思いますが、近所の寿司屋さんがチラシを持って家にやってきて、
「大阪には昔から恵方巻という風習があって、節分にその年の縁起のいい方向を向いて海苔巻き(関東では太巻きというようです)を無言で一本丸ごと食べると願い事が叶うといわれています」と言ってきました。そして、その海苔巻きの注文を取りに来たのです。
当時、寿司屋には握り寿司や押し寿司の出前を頼むことはありましたが、海苔巻きは自分の家で作ることが多く、わざわざお金を出して海苔巻きを買うことはほとんどありませんでした。
この近所の寿司屋さんは小学校で同じ学年の男の子の実家で、その男の子とは同じクラスになったことがないのであまり話をしたことはなかったのですが、近所でしたので顔と名前は知っていました。

そういうこともあり、本当に昔からの風習かなといぶかりつつ、また自分の家でも作れる海苔巻きでしたが家族の人数分の本数をこの寿司屋さんに頼むことにしました。
節分の当日、母と僕と弟たちがその年の縁起の良い方向(恵方)を向いて正座し、海苔巻きを食べ始めました。父は仕事で帰りが遅くなるのが常でしたので一緒ではありませんでした。
僕はこういう儀式は決められたとおりにちゃんとやりたいという考え方なのですが、海苔巻きを食べ始めて3口目ぐらいで母が「こんなんいっぺんに食べられへん」「のどが詰まるわ」「こんな食べ方したら美味しいことあらへん」などと言い出しました。無言で食べると願い事が叶うという儀式なのに母が喋りだしたので、僕は「黙って食べよ」と言いたかったのですが、喋ってしまうと僕の願い事が叶わなくなると思ってそのまま無言で食べ続けました。ただ、僕も母が喋りだしたことが気になって、結局十分な願い事をしないまま食べ終わってしまいました。

寿司屋さんの海苔巻きは確かに自分の家の海苔巻きよりは高級でしたが、お金を出して買うかというとちょっと考えてしまうというものでした。当時の恵方巻は今の恵方巻のような豪華なものではなく普通の寿司屋の海苔巻きでした。

翌年も寿司屋さんがチラシをもってやってきて海苔巻きの注文を取っていきました。
前年とは違う恵方に向かって座り、今度は母も無言で海苔巻きを食べましたが、節分の豆まきよりも重要な行事であるとも思えなかったので「恵方巻はもうやらんでもええかなぁ」ということになりました。僕の家では僕が高校生の時でも節分の豆まきは毎年きちんとやっていました。
その次の年は寿司屋さんも注文を取りに来ませんでした。おそらく、お客さんの恵方巻への関心が低かったのだと思います。
その後僕が上京する(1972年)まで恵方巻が僕の周りで話題になることはありませんでした。

それから20数年ぐらい経ったころ、テレビのニュースコーナーで大阪で恵方巻が流行っているということが紹介されました。
僕は、「えっ?恵方巻っていつから復活したんだろう?」とちょっと驚きました。どういうきっかけで恵方巻が関西で復活したのかわかりませんが、商業戦略に乗ったイベント好きな人が増えたということなのかなと思っています。また、自分の家で海苔巻きを作らなくなった家庭が増えてきたことと関係があるのかもしれません。

ただ、僕が家庭を持ってからも家では一度も恵方巻の行事をしたことはありません。海苔巻きを一本丸ごと一気に食べるという食べ方は経験上美味しいとは思えないからです。
もちろん節分の豆まきはこの歳になった今でも家で毎年欠かさず行っています。