takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

遠足はほとんど京都・奈良だった

僕は大阪で生まれ育ったので、小学校、中学校、高校の時の遠足は、ほぼ京都、奈良でした。
したがって、京都、奈良の定番の史跡、神社・仏閣はほとんど行っていると思います。

最近、ユネスコ世界文化遺産に、大阪府仁徳天皇陵などを含む「百舌鳥・古市古墳群」が登録される見通しとなったとニュースで報じられましたが、なぜか遠足でこの仁徳天皇陵に行った記憶がありません。
僕の高校生時代は1964年~1967年ですので50年以上前であり、ましてやそれより古い中学校・小学校の時の状況は良くは憶えていないのですが、仁徳天皇陵の周辺にはそれ以外に見るべきものがなく遠足の目的地にならなかったのかもしれません。また、仁徳天皇陵の中には今でも入ることはできないので、上空から見るのなら別ですが、周辺から眺めるだけだと木々が生い茂った小山としか見えないから遠足の目的地にならなかったのかもしれません。生きているうちに一度は行っておきたい場所の一つです。

高校1年生の時(1964年)、遠足で奈良に行き、石舞台や薬師寺などを見学しました。午前中に石舞台がある明日香地域に着いたのでそこで昼食となりました。当時は石舞台の周りも整備されておらず、ポツンと石舞台があるだけだったので石舞台の上で弁当を食べている人もいました。石舞台が蘇我馬子の墓だと言われていたので、僕は畏れ多くて大分離れたところで友達と弁当を食べました。

ちなみに僕たちが小学・中学・高校生の頃は、遠足や運動会などのイベントがあるときの弁当は必ず「海苔巻(寿司)」(関東では「太巻き」と言うそうです)でした。現在ではイベント時の弁当といえばほぼ「おにぎり」と「から揚げ」になるのでしょうが、僕たちの時は巻き寿司でした。前の晩に母親が十数本(多いときは20本ぐらい)の海苔巻を作り夕食にするとともに、翌日の弁当にも入れたものでした。僕の家だけではなく友達のところも同じように遠足や運動会での弁当は海苔巻だったのでそれが普通だと思っていました。小学校の時、父子家庭だった友達はイベントの時の弁当がおにぎりだったので、働きながら子供の世話をするお父さんは巻き寿司を作るのが大変なんだろうなぁと子供心に思っていました。
僕が住んでいた大阪ではイベント時の弁当は巻き寿司が定番でしたが、ひょっとしてほかの地域では違ったのかもしれません。

石舞台などがある明日香地域を離れ、午後に薬師寺に着くと僕の高校の他に別の高校の生徒たちも来ていました。薬師寺では生徒たちに仏像や寺のことを説明をするお坊さんがあまりにも上手に話をするので感心して聞いていたら、そのお坊さんが突然「誰や、そこでガムを噛みながら話を聞いている奴は! 話を聞くときはガムなんか噛むな!」と他の高校の集団に向かって指をさし大声で一喝しました。

後々のこと、テレビを見ていたら薬師寺で大声で叱ったお坊さんが出ていて「高田好胤」だと分かりました。テレビでも話が上手く説得力があったので人気がありました。高田好胤がテレビに出る以前は、薬師寺管主高田好胤の師である「橋本凝胤」がテレビに出ていて人気がありましたが、二人の話し方はまったくの正反対で、高田好胤が軽くて分かり易く話すのに対し、橋本凝胤は重厚で深みのある話し方をする人でした。

ウィキペディアWikipedia)によると、高田好胤は18年間もこのように薬師寺を訪れる生徒たちに薬師寺の説明や法話を行い、それを聞いた生徒の数は600万人を超えるということです。僕もその一人に入っています。