takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

幼児の時に感動したこと

僕が幼稚園児(1954年)かそれより1歳前(1953年)のことだと思います。
近所の子供たちと一緒に外で遊んでいたとき、道路の舗装工事だったかなにかは忘れましたが、道にコールタールがあり、それを泥遊びのように手で触ったり捏ねたりしていました。
手についたコールタールはべたべたした感じでしたが、泥遊びの時のように石鹸で手を洗えばきれいに取れるだろうと思っていました。子供でしたので石鹸で洗えば何でも取れるものだと思っていました。
夕方になって家に帰って母から「何をして遊んだの!こんなものを手に付けて! 早く石鹸で洗いなさい」と言われて石鹸で洗ったのですがコールタールは全く取れませんでした。
新聞紙で手についたコールタールをこそぎ取ろうとしましたがきれいに取れません。

近所の友達も同じ結果だったようで、母親と子供たちが外に出てきて、母親たちがどうしようかと話をしていました。
「このまま自然にコールタールが取れていくのを待つしかないのかもしれへん」と母親たちが半分あきらめかけていたとき、近所のあるおばさんが、「コールタールは灯油で溶けるからそれでコールタールを落としたらええねん、灯油は石鹸で取れるからそれでやってみたら」と教えてくれました。
僕は子供心にホントかな、石鹸で取れないのにそんなことで取れるのかと半信半疑でした。
しかし、このままではご飯も食べられないので、一人の母親が灯油を持ってきて子供たちの手にかけてくれました。
すると、コールタールが溶けだしたのです。それを新聞紙で手についたコールタールと灯油を取り除いて、そのあと石鹸で灯油分を洗い流して無事解決しました。
石鹸で洗った後でも、手には灯油のにおいが残っていて食事の時には少し気になりました。

このことは僕にとって大きな衝撃であり、感動でした。こんな解決方法があるなんて思いもしませんでした。
これ以降僕は物事の解決には直接的ではなくても良いんだ、一回別のことを行ってからでも最終的に解決すればいいんだと思うようになりました。

これは夏のことでしたが、家庭に灯油があったのは、以前に「水道完備ガス見込」で書いたように当時は各家庭で石油コンロを使っていたからです。

現在のコロナ禍でもこの考え方が適用できないものなのかと思っています。
例えば新型コロナウイルスをやっつける天敵のウイルスか細菌を投入して、そのあとに天敵ウイルスか細菌をやっつける薬品を投入するような解決方法がないものかと思ってしまいます。

なお、このことが幼稚園入園前のことであった場合は、これが「一番古い記憶」になりますが、幼稚園入園前であったという確信はありません。