takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

ライオン歯磨きの戦略?

僕が就職で上京した時(1972年)、大阪で普通に通用している商品が東京では全く知られていないということに少し驚きました。
たとえば、海苔の佃煮といえば、大阪では「磯じまん」ですが、東京では「磯じまん」は全く無名で「江戸むらさき」が一般的でした。
かまぼこは大阪では「かねてつ」は良く知られていましたが、東京では無名でした。醤油の「ヒガシマル」も同様でした。

今日の話は、この逆で東京では一般的な商品(推測)ですが、大阪ではあまりなじみのない商品にかかわる話です。

僕が小学3年生(1957年)か小学4年生(1958年)のことだったと思います。ひょっとしたら小学5年生(1959年)だったかもしれません。
全校生徒1500人が校庭に集められました。これから正しい歯の磨き方を指導するというのです。
指導するのは「ライオン歯磨き」の人ですと言われ、僕たちは「ライオン歯磨きなんて使ったことない。なんでライオン歯磨きの人が指導するんや」とざわざわしました。
当時の大阪では歯磨きといえば普通「サンスター歯磨き」でした。
指導に来たライオン歯磨きの人もその辺は承知している様子で、「みんなの中でサンスター歯磨きを使っている人は手を挙げてください」と僕たちに訊ねました。ほとんど全員が手をあげました。
「それではライオン歯磨きを使っている人は手を挙げてください」10数人が手をあげました。全校生徒が1500人ですから1%未満です。
店舗にもライオン歯磨きはあまり置いていなくて、歯磨きのほとんどがサンスター製品でした。
だから、子供心にライオン歯磨きはサンスター歯磨きよりも格が下のものと勝手に思っていました。ライオンさんごめんなさい。

当時の歯の磨き方は、歯列に沿って磨くいわゆる横磨きが一般的でした。ライオンの指導者の人はこの磨き方では歯と歯の間に挟まった食べかすが取れないので、歯の生えている方向に磨くいわゆる縦磨きが正しい歯の磨き方ですと言って指導してくれました。しかも上の歯と下の歯を別々にそれぞれの歯の根元から先端に向かって縦磨きすることが大切ですと教えてくれました。
小学生の僕は食べかすが歯に挟まったことなどなかったので、別にどっちでもええやんと思いましたが、正しい磨き方はこれだと言われると、やっぱり正しいやり方を実践しなくてはいけないと考える優等生でした。
家に帰って早速両親や弟たちに正しい歯の磨き方を教えたことは言うまでもありません。
今ではこの歯の磨き方は正しいものではないようですが、僕はいまだにこの歯の磨き方を守っています。

今から考えると、大阪(おそらく関西)のシェアが圧倒的に低かったライオン歯磨きが、こうして子供からライオンの名前を周知させて知名度を上げていく戦略を取ったのかなと推測できますが、当時は何でライオン歯磨きの人が来て指導するのか分かりませんでした。

子供から認知度を上げていこうとする戦略は今ではよく使われていますが、当時からあったのです。
もちろん現在では知名度の向上はテレビのコマーシャルによるものが大きいのでしょうが、この頃はまだテレビを持っている家庭は少なかったので、この戦略になったのだと思っています。