takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

45年前から花粉症

今年も花粉症が発症し、毎年春はいやなシーズンとなっています。
僕が花粉症を発症したのは1973年か74年頃でした。
就職で上京して(1972年)1、2年ぐらいの時の4月に何か眼が痒くなり、眼をこすっていたら赤くなってしまったので眼科に行くと結膜炎ですと言われ目薬をもらいました。
しかし目薬の効果はなく眼はずっと痒いままでした。ところが初夏になる頃には自然に眼の痒みがなくなりました。
おかしいなと思っていたら、翌年の3月~4月にまた眼が痒くなりました。また眼科に行って目薬をもらいましたが効果がありません。
そのうち鼻水も出るようになり風邪かなと思って会社の診療所に行きました。
僕が勤めていた会社は中堅の製造会社でしたが、工員さんが多くいるということからか診療所を備えていました。
医師一人と看護婦二人が常勤していました。

ウィキペディアWikipedia)によると1964年に「スギ花粉症」の論文が出ているとのことですが、1973、74年頃の僕は「花粉症」という言葉を知りませんでした。

会社の診療所の医者は僕を診て、これは風邪ではなく「アレルギー」だなと指摘しました。当時アレルギーという言葉は知っていましたが、自分がアレルギーになっているなんて信じられませんでした。
医者が「花粉症」といったかどうか記憶はないのですが「アレルギー」といったのはよく憶えています。
「治りますか」と聞いたら、「毎日注射するから来い」と医者に言われました。
毎日注射しないといけないのですかと聞くと、アレルギーに身体が慣れるように少しずつアレルギーの原因となるものを注射で身体に入れて慣れるようにすると説明されました。
2ヶ月ぐらい注射を続けると言われ、以降毎日注射をするために仕事の合間を縫って診療所に通うことになりました。
左右の腕に交互に注射を打つのですが、2週間ほど注射を打ち続けると新しく注射をする箇所がなくなり、前に注射した付近に注射をしなくてはならないようになりました。注射を打った箇所が少し硬くなってきており、その上に注射をすると痛いのです。
痛みに弱い僕は3週間目の途中で注射を打つのを医者に無断でやめました。診療所からは注射に来るように電話がありましたが、仕事が忙しいという理由を付けて行きませんでした。そのうち診療所からの連絡も来なくなりました。

最近、人工透析を受けていた人があまりにも苦しいので人工透析をやめて亡くなられたことが報じられましたが、人工透析を受けている人は何年、何十年も身体に針を刺しているのですね。僕なんかの比じゃない大変さなのに続けておられる。それに比べて僕は3週間足らずで止めてしまって情けない限りです。

花粉症が発症するたびに、あのまま注射を続けていたら「花粉症」が治っていたのだろうか、それとも注射が痛かっただけで「花粉症」は治らないままだっただろうかと考えることがあります。