takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

バス停のおばちゃん

僕が小学生の頃の話です。
父はときどき僕を大阪市内まで連れて行ってくれました。
大阪梅田には阪神デパートと阪急デパートがあり、デパート屋上の遊園施設で遊ぶのが一番の楽しみでした。
梅田まで行くには電車でも行けるし、バスでも行けましたが、父はバスで行く方を好んでいたようでした。

僕たちが利用する大阪市営バスのバス停は始点・終点だったので、バス停のすぐそばに乗車券発売所があり、そこで乗車券や回数券を買うことができました。
僕の記憶にあるのは小学3年生(1957年)か小学4年生(1958年)ごろのことだったと思いますが、
その乗車券発売所の前で堂々と乗車券を売っているおばちゃんがいました。
乗客は発売所で買う人もいれば、そのおばちゃんから買う人もいました。
父はいつもおばちゃんから乗車券を買っていました。
僕はそのおばちゃんがなにか胡散臭いと感じ、父に「なんで発売所で買わずにおばちゃんから買うの?」と聞くと、
父は「おばちゃんの方が愛想がええからや」「それに早い」と答えました。
確かに、そのおばちゃんは乗車券を買ってくれるお客に手際よくお釣りを渡したりしていて、一人一人に「おおきに」と言っていました。
後年僕が乗車券発売所で乗車券を買ったとき、発売所の人は乗車券を出すだけで、「おおきに」とは言いませんでした。

バスの始点・終点のバス停だけではなく、大阪の中心部に近く乗客の多いバス停でもそのようなおばちゃんがいました。
乗っているバスから、ああここにもいるんだと確認できました。

その頃は、おばちゃんが正規の乗車券を買ってお客に売っても利益がないのにどうしてそんな仕事をしているのか不思議でした。
中学生ぐらいになれば、おそらく回数券を買ってばら売りしているんだと想像がつきますが、当時は小学3、4年生だったので分かりませんでした。
そのおばちゃんも僕が中学生になる頃(1961年)には見かけなくなりました。
良くない行為であったから取締りにあったのか、それともそのころワンマンバスが増えてきたので車内でお金を払うシステムになったためかわかりませんが、急にそのようなおばちゃんを見なくなりました。

ちなみに、バスの乗車券はバスの車内でも買えました。
その頃のバスには女性の車掌さんが乗っていて、次のバス停の案内やドアの開け閉めのほか、走行中はバスの中を歩いて乗車券が必要な人に売っていました。車掌さんが走行中のバスの中で吊皮を持たずに、よろけずに歩くのにはいつも感心していました。
たまに、男性の車掌さんが乗っているとすごく違和感がありました。
この車掌さんたちもワンマンバスの普及で見なくなりました。

ワンマンバスには最初はちょっと戸惑いましたが、利用者としては割と早く慣れました。
それより運転手さんはワンマンバスになった当初はすごく気を遣ったのではないでしょうか。
今まで運転だけに気を遣っていたものが、ドアの開閉、次のバス停の案内などすることが増えて大変だったと思います。
昔から社員を多能化させて経営の効率化を図る流れはあったのです。