takegrigriの今昔物語

団塊世代のじじぃが昭和時代から見てきたことを書いています

最高の笑いとは

僕は大阪生まれの大阪育ちなので、小さい頃から「お笑い」が身近にありました。
ただ、うめだ花月には数回行ったことがある程度で、ほとんどはテレビでお笑いを楽しんでいました。

あとで書くことになると思いますが、僕の家にテレビが来たのは小学4年生(1958年)の時でした。
僕が小学生・中学生の頃は中田ダイマル・ラケットが全盛期で、僕も大ファンでした。
テレビ番組の「ダイラケのびっくり捕物帖」「ダイラケ二等兵」などはいつも見ていました。
中田ダイマル・ラケットは漫才も面白くて(こちらが本業なので当たり前ですが)、同じネタでもいつも同じところで大爆笑していました。
何しろ「間(ま)」が良かったです。

特に、ダイマルがボケたあと、ラケットが笑いをこらえて次のセリフを言うまでの「間(ま)」が絶妙でした。
今の漫才の主流が速攻ツッコミであるのとは正反対で、ボケに対してラケットが笑いをこらえながら「長い間(ま)」をとることもあり、お客もラケットが笑いをこらえる様が面白く、その「長い間(ま)」のあいだにボケに対するお客の笑いも増幅されるという計算だと思いました。
「長い間(ま)」だけではなく「短い間(ま)」を使って軽妙感を出したり、緩急自在の漫才でした。

その後、横山やすし・西川きよしに代表されるようにさらにテンポアップした漫才が増えてきて、「短い間(ま)」でも笑えるように進歩?してきたようです。
これは、ダイマル・ラケットの漫才も当時はスピード漫才と言われたようですから、漫才のテンポアップは必然の流れのようですね。

話の前置きがだいぶ長くなりましたが、本題の「最高の笑いとは」についてです。

高校生ぐらいの時(1964年~1967年)、テレビの演芸番組(当時の言い方です。今ではお笑い番組と言うんでしょうね)を見ていた時のことです。
最初の演者(誰だったか憶えていない)が大爆笑を取った後に、三遊亭小円・木村栄子漫才コンビが登場しました。
会場はまだ前の演者の大爆笑の余韻が残っていて、次の演者にはやりにくそうな雰囲気でした。
その時、三遊亭小円が開口一番こう言いました。

「お客さん! 最高の笑いは大爆笑じゃないんです!」
僕は「え?え?え?」です。
「最高の笑いは、お客さんが劇場を出て家に帰る道で、今日の出し物を思い出して『くすっ』と笑う。
これが最高の笑いなんです!!」
僕は全く納得できませんでした。最高の笑いは大爆笑に決まっている。
あなたたちは大爆笑を取れる漫才ができないのでそう言っているのだろうと。
このとき実際に、彼らの漫才で大爆笑をすることはありませんでした。

しかし、この小円の言葉はずっと僕の頭の中に残っていました。大爆笑を取った前の演者の名前さえ忘れたのに。

僕が60歳になったころ、確かに大爆笑は良いけれど、何かもっと味のある笑いがないものかと思うようになりました。
歳をとって、笑いの好みが変わったのかもしれませんし、大爆笑に少し飽きてきたのかもしれません。
今は、小円が言った「最高の笑い」が少しわかる気がします。
三遊亭小円さんごめんなさい。